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 禁じられた遊び 1951年 フランス映画 監督:ルネ・クレマン
 No 1 明るい笑みを浮かべるポーレット
この映画はどのカットをとっても素晴らしいけれど、特にこのカットは眼を引きます。
それほど明るい表情のポーレットなのです。
彼女は、前日橋の上で両親を亡くしたばかりです。
しかし、ポーレットはまだ「人の死」を理解していません。
やがて彼女は独自の方法で、その「死」の意味に近づいて行きます。
 No 2 ジェラール・フィリップ
時々、ミッシェルはジェラール・フィリップのような表情を見せます。
「モンパルナスの灯」でしたか・・・。
画家モジリアニの晩年を描いたドラマです。モノクロのせいですか・・・。
美男美女、抒情的で素朴な人々、そして冷徹なリアリズム。
まだ小さな主人公ですが、この映画はフランス映画が愛された頃の条件を一通り備えています。
 No 3 少年ミッシェル
---これを百年預かってくれ。---
反戦映画には違いない。個人的には良質な、あるいは純粋な・・・
純粋という表現を躊躇無く使える恋愛映画なのかもしれません。
しかし、この映画に、「恋愛」という言葉もあまり馴染みません。
ただ、普通の恋愛映画が描こうとして描けない愛情がここにはよく描かれています。
彼は自分が彼女にとって必要不可欠の人間であることを知っています。
彼はそのことをよく承知し、その努めを献身的に果たします。
ミッシェルの「百年」という言葉に彼の無念がにじんでいました。
ふくろうの“村長”は、彼を優しく見守っています。
 No 4 ポーレット
水車小屋の墓地の話に喜ぶポーレット。
彼女は感情に導かれるまま、まだ感覚だけで生きてゆける子供です。
本当は理性なんて、どうでもいいでしょう・・・。
理性は約束であり、権利であり、義務であり、
コミュニティにおける利害であり、
そしてその大半は「嘘像」に過ぎないのだから・・・。
 No 5 モノクロ映画、そして子役
カラー映像では、この影の深い輪郭と表情は表現できないかもしれません。
それに「禁じられた遊び」のリメイクなんて考えたくもないです。
カラーで観たいとも思わないし、生々しい戦争映画としても観たくありません。
外国映画には子供が主役のいい映画が沢山あります。
古くは、「オーケストラの少女」で得意の美声を披露したディアナ・ダービン。
「奇蹟の人」で、驚異的な演技力を見せたパティ・デューク。
「ペーパームーン」のテイタム・オニールも良かった。
ちなみにディアナ・ダービンとパティ・デュークは共に16才、
テイタム・オニールが9才の時の作品。
そして、ブリジット・フォッセーは5才だから、
これはもう演技の域を越えているとしか言えない。
原語だから台詞の良し悪しも正確には判らない、
・・・それでよく見えるのかもしれませんが・・・。
それにしても、このカメラを回した人は、本当に素晴らしい人だと思います。
 No 6 天使
天使がどんな姿をしているのか知りません。
もし、見ることができるなら、その存在は一際輝いて見えるのでしょう。
戦場に降り立った天使が身に付けていたものは、水玉の服と「ポーレット」という名前だけでした。
ブリジット・フォッセーが幼年を過ごした時代が現代でなくて良かったと思います。
メディアの発達した現代では、商業主義の餌食にされてしまっただろうから。
ブリジット・フォッセーがポーレットになれた、
あるいはポーレットでいられたのは、あのルネ・クレマンと出合った時、
あの時だけしかなかったように思います。
 No 7 ラファエロ
 ラファエロの描く天使のような映像。
まるで宗教画のように綺麗な画面です。
ミッシェルが大天子の名前なら、ポーレットの名前は・・・。
ふと、そんなことを考えます。
教会の傍らで、大人達のそれとは違うかたちで彼等の宗教的な儀式が行われていたのでしょう。
たぶん、それは純粋な意味で“埋葬”だったのかもしれません。

ラファエロのホームページです。
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/r/raphael/index.html

 No 8 十字架を盗む
十字架を盗んで夜の墓地から帰るミッシェルとポーレット。
ドイツ軍の爆撃であたりは昼間のように明るい。
これが戦争映画であることを改めて思い出させます。
子供達のすぐ近くに、子供達には無関係な戦争があります。
ヒットラーとか、ドゴールとか、ルーズベルトとか、スターリンとか・・・。
そんな名前が浮かびます。
戦争は破局に瀕したエゴイスト達の争いに過ぎません。
そして身近には、ドレ家とグアール家の戦争がありました。
心細さを紛らすようにポーレットは歌を歌いながら帰路を急ぎます。
 No 9 ミッシェルとポーレットの特別な場所

ポーレットの両親が銃撃に倒れた橋の上が戦場で、そこが現実の世界なら、
ミッシェルとポーレットは戦場から遠い場所で安息の時間を過ごしていました。
イエペスのギターは巧みにミッシェルとポーレットの世界を大人たちの喧騒から遠避けます。
特に間奏部分に入ると、二人の小さな幸福感すら漂わせてくるのです。
水車小屋はミッシェルとポーレットの特別な信仰の場所だったのです。
信仰の個人的で純粋な意味について大人達はもっと考えるべきなのです。

 No10 ラストシーン
この場面に来ると、鬼だって泣くでしょう。
戦争を忘れて田園生活の中に過ごしていたポーレットが、
再び戦争の渦中に連れ戻される。
遠くでミッシェルの名を呼ぶ人がいます。
ポーレットは、自分が独りになったことを知ります。
母親はもういません。彼女は思わず「ママ」と口走る・・・。

彼女の行為は決して“遊び”ではありませんでした。
彼女が知り得た「死」とは、別離であり、孤独と絶望に満ちたものだったのです。
この悲しみは、人間が知ることのできた根源的な悲しみだったと思います。
いつのまにか人々は「死」について、誤魔化したり、奢ったりして、
その多くが形骸化された儀式、または、宗教の形をとって、
この恐ろしい悲しみのことを忘れてしまったのかもしれません。

---無二の真摯なる純真の眼差しの力を、
悲劇と戦禍の只中にある幼子の無垢の昇華とする術を知りて---

この映画の冒頭の言葉です。
ポーレットは天使であり、彼女は我々にとっても救いだったと思います。

   *  *  *  *  *  *  *  *

以下は、極めて個人的な空想です。
これではポーレットがあまりにも可哀想なので、私はこう考えることにします。
リアリズムは合理主義者達に差し上げよう。
リアリズムなんかで終わりたくはない。

 だから、どうか泣かないでおくれ、ポーレット。
 ミッシェルは間違いなく君を探しに行くよ。
 彼が君を独りぼっちにしておくはずがない。
 2〜3年もすれば、彼はランボオのように家出して
 きっと、君を探しに行くだろう。

   *  *  *  *  *  *  *  *

                        T.HOSOI